やらない善よりやる偽善?おかしいでしょ!

おかしいよそんなの。
悪がいじめられてたとする。その悪を助けるのが良いこと?ふざけるなよ。
震災後に聞くようになったけどさ。そもそも間違えてないかな。
偽善って善じゃないじゃん。良いことじゃないじゃん。
本人らは善だと思い込んでるけど迷惑なことってたくさんある。知ってる中では駅前で「オスプレイ来るなー!!」なんて言ってる人らとか、鼻毛が出てることよく考えずに指摘する人とかさ。
そういうのが偽善でしょ?なんでそれが賞賛されるの?おかしくない?

この言葉、僕の小学校5年生のときの担任が好きな言葉。まあお察しの通り熱血体育会系教師(笑)だった。
なんでそういう人はこの言葉が好きなんだろうね。表面だけに騙されて深く考えようとしないんだよ。簡単に言えば頭が悪い。
耳障りの良い言葉を好む人種を偽善マンと呼ぼう。やっぱり女性の権利を守る会みたいなのから批判浴びないように偽善パーソンとでも言い換えるか。
耳障りの良いって使い方は誤用らしいね。でも言葉は時とともに変わる論者だからあえて使おう。

僕は不登校やってるんだけど、クラスのお友達(笑)に、なんで来ないの?とか来いよ!とか言われたことがある。
それも偽善だよね。やる偽善だ。それに苦しめられた僕はやる偽善なんて賞賛できない。

賞賛出来ないけれど糾弾は出来ないと思っている。だって彼らは良いことだと思ってやっているからだ。
誰にも責められないよ。事故だよ。偽善に協力する人も被害者なんだ。かわいそうに。
方向を間違えた善意ってとても迷惑で、でも糾弾することが出来なくて。どう対処すればいいんだろうね。

結論 やる偽善は偽善の時点で迷惑だから賞賛出来ない。やらない善のほうが確実にマシ。