話がふくらまない

 今書いていることは本筋から離れていると感じる基準が低いのかもしれない。無駄を愛したい。無駄を愛する人は~♪なんてね。この文も無駄。ムダのない文章って良いのか。つまらないのではないか。だから無駄をたくさん盛り込んで面白い文章に仕立てたほうがブログ的には良いのではないか。でもプチ粘着の方に無駄が多いって書かれてたからな。どうしよう。

 長所は短所で、短所は長所。長所は長所だし、短所も短所。ゲシュタルト崩壊してきたけど、まあそういうことでして。何が良いだとか何が悪いとかでなく、特徴として捉えて味わいたいなあなんて思うわけです。自分が短所だと思ってることを長所だと思いこめ!と言われても難しい。それができるって人、結構な自信家だと思う。だから、まず文章に優劣が無いと仮定して自分を納得させようと。ああいう特徴をもった文章いいなーと思ったら近づければ良いし、自分は自分だ!でもよい。

 ふくらまそうと最大限努力しているんだけれども、正直飽きてきた。前の記事はなぜモチベーションが持ったかというと雑談と割り切ったところにそれがある。自尊心が強いから、よく見られたいのであんまり脱線したくないって思いが根付いてる。無駄が多いと指摘されれば気になるし、意見をくださる読者によって僕の文章は日々変化していくのであります。ネットに放流している以上評価されたくなるのは当然だしね。満たされないから変化していく。どんな文章でも苦手な人はいるから変化はとまらない。繰り返し。

 なんかの小説だったかな。かぎかっこがずっと平行のまま会話が進んでいくみたいな表現があって面白いなと思った。だけどその遊び心も偏屈に捉えれば、ドヤ顔が透けてうぜえだとか気持ち悪いだとかってなるわけで。優れた文章ってなんだ?ある程度からは好みじゃないの?とか考えたりするわけです。純文学の最高傑作でも幼稚園生に見せりゃあ絵本以下の価値しか無いと。読み手によって評価されるものは変わるんだなあ。

 話題がループしていく傾向があったり。バッサリ削りたいんだけどもたくさんの子供達から役に立たないやつを間引いていくなんてピュアな僕にはできないのだ。どうせ自然淘汰されてくしどうでもいいのだよ。ふはははは。文字数稼ぎたいので各々、脳内で間引きながら読んでもらいたいなあ。読みやすくしてもいいのだけれど、残念ながらそこまでするほどの情熱を持っていない。基本的にブログに飽きている(といいながら書くことでヒットしなくても全能感を保てる)。マアイイワケデスヨネ。カッコでくくる表現方法はなんか甘えてるみたいで嫌だなーって話をTwitterでしたことがあったんだけれども普通に書くより読みやすいし積極的に使っていってる。中二病はだいぶ薄れたよ!と公言すること自体が中二病だろ!というツッコミに「べ、別にそういうつもりじゃないしっ!」と返すツンデレ系中学生(男子)。今の文ノリノリで書いたので笑え。