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クソ

定義の話を君としよう。僕は今一人だけど画面の向こうには君がいてここにも君はいる。君の定義はどこにもないしだれも決めることはできないけど、君は君だということを前提として共有していなければ話は通じないということで、常識、辞書なんてものがあり、それを捨てると文法なんてどうでもいいということになってきてかなりやばい体験なのでは。いや前衛的なものを書こうとしているわけではなくて、ただ駄文をだらだら書きたいというだけなのだけど、楽しませようという工夫がない駄文はただの駄文で、良い駄文ではないよね。という前提がありそれを共有していると僕は信じているし君も信じていて、そもそも良い駄文ってなんだよっていうことになって面白いダジャレみたいな矛盾を感じるんですが。矛盾は矛盾で、辞書に書いてある用法の矛盾で合っています、という文章の中に出てくる単語も辞書通りの用法かはわからなくて、今書いているこの文章も実はチンパンジーがキーボードを叩いているだけで奇跡的な確率を乗り越えて君のもとに届いているのかもしれない。でもそんなことはありえないという前提を君と共有しているから前提は前提であって欠けてはいけないんだなあという思いです。話が通じない場合大抵この前提が間違っていて、明らかに誤用ってわけじゃない前提の食い違いがあるということも書き加えておきたい前提の一つですね。誤用は誤用でしかないんですけど、その用法で使う人がある程度を超えるとそれはもう正しいよね、正義だよね、民主的だよね、民主的なら戦争もやむを得ないよねとかそんな感じでふわふわっとした言葉を使い濁しましょう。濁ってなくて澄んでるわよ的なあれで例えば捗るなんか顕著で、捗るとは本来仕事に使うことでニートの時間つぶしは仕事じゃないわけで誤用なわけですよ。でも指摘してもみんな使ってるからいいじゃないということになってめんどくさいので、多分辞書丸暗記したりする人じゃないと指摘できないんじゃないですかね。辞書が語義の変化に追い付いていないというのはあって、あれって何年おきに作るもんなんだという興味が湧いたりして、体力もないので調べないんですが楽しいかなとも思ってまた体力のあるときにやろうとメモに残すんですけど、まあやらないよね。体力のあるときはもっと優先度の高い楽しいことをするので必然的にそんなことは後回しになって新鮮なやりたいことが上に覆いかぶさって強いなと。なんでも強い弱いで表記する風潮アホっぽいしやめようとも思うんですけどみんなやってるからいいじゃんということで、でもそれってどんどん言語が退化するよね、なんで洗練されていく過程でいろんなものの数え方を分けたんだろうとか言語について興味が湧いて、まあいま体力ないしそれに記事書いてるし途中でやめたら投げ出して死に至るよなとか思いメモに書き留めます。永遠にしらべないと思うので言語への興味を持っていたんだということを読み返した時にでも示したいなと、未来の自分への手紙ってやつでこう書きます。今1000字ぐらいで、よく自分でもこんなつまらないものを書いたなと思うんだけどまあ筆が乗っちゃってる以上頑張って書かないと息切れして死んでしまうしね、強い言葉を使うな弱く見えるぞなんて言いますがその他の弱い表現を省いた結果の強い言葉はいいんじゃないかということで死んじゃうだの殺すだの書きます。定義の話にもどるんですけど、だいたい語り終わっててここから1000字ぐらい伸ばすのは絶望的なんじゃないかとかテーマに沿って書くのは向いてないマジ病みとかね、つらいつらい。このつらいというのもつらいという意味ではなくなってしまうのかもしれない。ファッションメンヘラが、いやファッションメンヘラでもつらいならファッションとはいえないかもしれないですけど、つらいが軽くなりすぎた結果すごくつらい人たちが生きたいを使うようになっていってつらいは甘えみたいになってるのかもとか思いつつ辞書に載るのはいつかなあなんて考えもあるわけですね。つまりファッションメンヘラは寂しくて死んじまえというあれ。うさぎってさみしくて死ぬわけじゃないんだよってまじめに語って引かれるのも良いと思いますおにいさんは。このうさぎだってあのうさぎじゃないかもしれないし、君の想像した「あの」は本当に「あの」なんだろうかということを考え始めちゃうとキリがなくて、printfが全然ちがう機能だったら嫌じゃないですか。辞書読もうよという、辞書は読み物として結構面白いし読もうよという。でも辞書丸暗記したところで喋れるようにはならないんだろうな…その国の文化とかあるしなあ…ガイドの資格とかでも日本独自のものを英語でなんというかって問題が出るらしいので根は深いなと。根は深いって便利ですね。浅くしか考えていないのにふかーく考えたような錯覚に陥って面白いなと、根は深いなと思いましたとさ。思ったとか考えたとかふわふわした言い回しをするとあんまり説得力がなくて、でも断言しちゃうとモヒカン族に狩られるわけじゃないですか。過去の発言を掘り起こされたら断言調で書いてる文でアホなことしてたりすると思うので気をつけていても殺されるんだけどまあ死ぬリスクは避けたいなと根は深いなと。この「と」で止めるの大好きで、ついつい多用してしまう。コミュニケーション取るときに敬語は硬すぎるけどタメ語はありえないってシーンあるじゃないですか。そんなとき「ね」でしめたり、「と」でしめたりすると近すぎず遠すぎずでちょうどよくて好きです。で、連続して使うと読んだ時変な感じになってすごくつらい思いをします。そこから便利な言葉でも2種類じゃ全然足りないということがわかります。便利な言葉を連続で使わない程度に集めるとなると、もうそれは便利な言葉の便利なところを潰してしまっていて、便利な言葉を使う上でそういうことは気にするべきじゃないのかなとか、まあ発言者の気の持ちようだし便利な言葉は便利な言葉としてつかうけど、文法としてはきちんとやっていくという気持ちが大事なのだろうなというあれで根は深いなと。便利な言い回しを使わないと長文は書けない。かけないなら書くな、お前の馬鹿長くてつまんない文章なんて求めてないぞと、お前の頭の中身を書きだしたところで誰も見ないぞと、殺されそうなんだけどやめません。どんどん増えていく文字数カウンターが最強ではてなブログ内で一番良い、気に入っている機能です。実にいい。どのくらい考えたのか、書いたのかを可視化してくれて中身の無いものをだらだらと書けばいっぱい考えて書いた気になれてヤバイな強いな強すぎて逆に弱いなということです。文字数は戦闘力じゃないので多く書いたほうが偉いってわけじゃなくて、わかりやすく簡潔に書くのに向いている人もいりゃあ10000文字書くのが苦じゃない、どこから文字が出てんのかわからないプロブロガーもいて、それはそれでみんな得意な方向性が違っていてみんな違ってみんないい(ただし絶対的な文章力が劣る人はいる)という強さです。称賛の度合いを強くしていくとこれ以上の表現を見つけられないというところにいつかたどり着いて、ありふれている事象に対しそれを使ってしまう癖があり、本当に感動した時強い表現を使えない問題。ふぁぼしすぎて本当に讃えたいときふぁぼじゃ足りねえというあれです。今3000字超えたっぽくて自分でもよくやったなと思うんですが10000文字はやはり遠いなとも考えていつどうやって10000文字チャレンジしようかなという。オフ会したとき書けば監視しあって強いのかなとか思いました。終わります。