「お気持ち表明」の起源は天皇茶化しにある

なにか傷ついた経験をもったいぶって発信することを、「お気持ち表明」と呼ぶ文化がある。個人的にはお気持ちはドシドシ表明するべきだと思っているが、この文章の趣旨はそういうことではない。



本当に、何か集団催眠でもかかったかのように、「お気持ち」というワードが漂白されているのが気になる。2016年の夏にリアルタイムで「お気持ち」を巡る状況を観測していた人は、象徴天皇制を嘲るようなスラングだと知っているはずだ。

7月半ばごろに生前退位の噂が流れ始めて、みんななんとなくソワソワしている中、8月初めに天皇自らビデオメッセージという形で意向を示した。これに対してマスコミ各社が「お気持ち表明」と表現して報道をしたのが「お気持ち」の初出である。このときまで「お気持ち表明」なんてトンチキな日本語は誰も聞いたことがなかったのだ。



知っての通り、天皇とは象徴であり、国政に関する権能を有しない。平成11年に生まれた俺は、天皇が何か能動的に意見を表するということ自体に、なにかすごいことが起こっているなという感想を抱いていた。具体的な実権は一切持っていないという建前と裏腹に、おことばという形で望んだように国の形を変えようとしている。この頃はまだ「忖度」も広く使われる言葉ではなかったが、もし順番が逆ならば「忖度を求めておられる」とか揶揄されたんじゃないかと思う。

ともかく、象徴天皇制を前提とする以上、実質的に権力の行使として働いてしまうおことばを直接的な表現で報じてはなんとなく困るだろうと、配慮の結果「お気持ち表明」という変な言い回しで各社報じていた。というのが俺の理解だ。これは西村ひろゆき的な斜に構えたオタクにとって、とても面白い出来事であったから、「お気持ち表明」というワードは主に茶化す目的で使われだした。おもしろニュースだったのだ。こういうマスコミの統一された配慮によって特徴的な言い回しが生まれて、スラングとして流行りだすことは、珍しくない。例えば山口メンバーとか元院長とか。



「お気持ち」というのは耳慣れない表現であった。つまり、多くの人にとって「天皇陛下が生前退位の意向を強くにじませる」ときにしか聞いたことがない言葉だった。そして、これをおもしろニュースとして受け取り、茶化すように流通させたのは、オタクだった。
国政に関する権能を有しないはずの者が、お気持ちを表明し、国全体がざわついて、制度を変えてしまう。この天皇ありがたがり構造を一般化して、茶化しに使うだとか、正面から批判として使うだとか、そういう営みによって、今現在のお気持ちの意味が固まっていったのである。

「お気持ち」がネガティブな意味で使われている背景には、ASD的冷笑オタクの象徴天皇制への茶化しがある。だから、黒人天皇とか実力のある者をドシドシ天皇にすべきだとか言ってるのと同様に不敬であることを認識したほうがいい。別に俺は不敬とかどうでもいいと思っているけれど。