悪口販売と清潔なインターネット

 スマートフォンの普及によってインターネットは現実と区分けされた閉鎖空間ではなくなり、現実と変わらないものになったと、訳知り顔のやつは言った。全然そんなことはない。


 堀元見が怒られている。ゆる言語学ラジオの聞き役でおなじみの、やらない夫みたいな風貌をした性格が悪い男だ。俺は彼のことが嫌いで、鼻につきすぎてまともに見れなかったのだけど、彼のnoteを見てから印象が変わった。といっても嫌いなままではあったが。

 彼はnoteで多種多様な悪口を書いている。「堀元見の炎上するから有料で書く話」と題して有料部分で具体的な言及をするフォーマットの記事が並んでいて、そのどれもが下品で面白そうな見出しを具えている。めちゃくちゃだ。こんなことやっていいんだとも思った。そんな感想だったから、焦げ臭い臭いを嗅ぎつけたときもやっぱ怒られるんだなあという感じだった。

炎上して生活に困る大人はインターネットで悪口を言ってはいけないし、ましてや悪口を販売してはいけない。堀元見は炎上して生活に困らない。



 俺もnoteで踏み込んだ悪口を書いていたら、ややこしいことになったことがあり、消して謝って有耶無耶にさせていただいたのだけど、やはり何言われても消さずにスタンスを崩さずにいられるくらいの気持ちで書かないといけないなと確認させられた。良い悪いは自分で決めて自分の正義に従わなければいけない。反省すべきは俺の自我と覚悟の無さだ。覚悟のない口だけが滑る悪口は良くない。

 俺は悪口が好きだ。好きよりも嫌いで自分を語るべきだと思っているし、人を知りたければその人が何に対して怒るかを知るべきだと思う。しかし、「悪口は良くない」という規範意識によって、他者とコミュニケーションを取れない俺が大好きな悪口にアクセスすることは容易ではなくなっている。よく誰かが炎上すると、居酒屋で言ってろとか言われるが、俺には居酒屋に行くような人間関係はない。パブリックの悪口でさえ、堀元noteのように対価を払わなければ読めない。悪口を発信するのは道徳上コストが高いから、出回りにくい。孤独な人間には規範の中心にある軽薄なコンテンツばかりが供されて、同じくらい人間にとって重要な悪口からは距離が遠ざかる。



 インターネットは現実のコミュニケーションを代替しない。フワちゃんの死んでくださーい事件はインターネットの悪口について示唆的だろう。仲間内のおふざけを外に出した途端焼け野原だ。
発言の公共性を自分で決められない以上、常に駅前で演説するような気持ちで発信しなさい。そうしないなんてあり得ない。みたいな態度は、確かに正しいのかもしれないが、それは規範が心身ともに馴染みきった人間や、クローズドな場での規範からの逸脱が許されている人間の言い分であって、優しくない。

障害者だからといって殺してはいけないのと同じように、逸脱した言動を取る人間を排除してはいけない。お前らが清潔に保とうとしているインターネット空間は全世界で、石の裏にも及ぶことを自覚してほしい。そしてその自治には終わりがないことも。
画面の向こうに人がいると認識できていないのは誰だって話なんだよ。


少しでも俺が生きやすい世の中になりますように。