意識が高いとか低いとかうるさいよ

 「前に進む覚悟」という言葉を漫画で見たことがある。多分おばあちゃんのラーメン屋にあった漫画だと思うんだが残念ながら記憶に無い。ちなみにそのラーメン屋は潰れた。結構美味くて常連客もいたんだが介護だったり介護だったり介護だったりで忙しくなり店じまい。潰れたという表現をしたのは故意で、どのような事情があっても、通りかかる人には関係ない。それがなんとなくさびしいと感じたのであえて使った。人はいつも表面しか見ない。見えないものを見ようとする人間は少なくて、たいていが中二病患者だろう。邪気眼を持てば見えないものが見えるようになるとかそういう話では無い。中二病というのは敏感になる病気なんだろうという仮説が僕の中である。経験が少ない中学生には新鮮に見えるものが多い。新しくて、これまでの知識が通用しない物に出会った時不安を覚え、観察する。そうするうちにこれまでの知識すら危うい物に見え描き直そうとする。そんなかんじ。

 意識が高い人を見かけた。自己啓発本とか読んじゃうタイプの意識が高い(笑)人。自己愛が強く、行動する指針を外部に持つことで自分を守る。それが意識が高い人の正体だと常日頃から想像している。意識高いがこれなら意識低い人とはどうなのか。自己愛が弱く、行動する指針を内部に見つけようとする?多分違う。自己愛は誰もが持つもので、強弱はあるが基本的にはみんなこじらせてる。意識低い人というのは自己愛が強く、何もしないことで自分を守る人間のことだと考える。そうすると第三の人が生まれてくる。二元論を現実的な事柄に行使するのは無理があって、やはりどこにも分類されない人が出てくるわけだ。数直線に似ている。番号を振って分類出来た気でいてもその間には無数に数がある。我々四天王の中でも最弱…

 意識が高い人と低い人、その中間に第三の人はいない。僕は物を考えるとき、一次元的に思考する癖があるようだ。次元がひとつ上がるたび、爆発的に思考量が増える。慣れないうちは大変だろう。しかし人間は慣れる生き物。その気になれば4次元の図形も簡単に定義できる。数学ぱねえ。話がそれたからもとに戻す。その第三の人ってやつは少なくとも僕ではない。行動する指針を内部に見つけるために努力する人、それが第三の人。意識飛び越えた人とでも命名するか。その飛び越えた人は哲学者と呼ばれる人かもしれない。好感が持てる。

 第三の人がいれば第四の人もいる。そうなると、もう番号を付けることに意味を見いだせなくなってくる。そういった面でサードブロガーとしたのは失敗だろう。一次元的なイメージを与えるからだ(サードブロガーが何かわからない方へ。こっちの話です)。アルファ、ベータときてあえてサードとつけたんだと思うがちょっと弱かった。とりあえず、世の中の人の意識は分類出来て、それは線には並べられないことは分かった。ちなみに第四の人として定義するのは、簡単に言うとエセ飛び越えた人。意識低い人と飛び越えた人の中間。僕はここに分類できそう。

 さて、終わろうか。完璧を求めて動かないのは甘えかとかそういうことを書こうと思って編集画面を立ち上げたんだけどまたの機会にします。

「意識高い系」という病~ソーシャル時代にはびこるバカヤロー (ベスト新書)

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