人のこと卑劣とか言って正しい立場から詰めるのが推奨される行動ならこの世界は苦しい。嫌がらせをする人にも人生があって、それなりに頑張っているのだから、頑張っている人の足を引っ張るな!などと糾弾されるいわれはない。お互い様だ。頑張った結果お前はそこにいて、俺はここにいる。ただそれだけの差であるのに、"正当性"とやらで見てみると天と地だ。あなたの正しい努力は人生の糧になって、俺の誤った努力は俺の身分を毀損して、どれだけの悪口も正当化する。足を引っ張るのは悪しき行為で、下につばを吐くのは良い行いだ。下にいる人間には、下にいるだけの罪があり、正当に頑張る人の足を引っ張ることは許されない一方で、罪人に強い言葉を吐き捨てるのは、正しく頑張る人たちの、正しい努力によって勝ち取った当然の権利である。
なんかもう人と話してないとどんとん頭がおかしくなっていくし、倫理に対しての自身の不誠実さを自覚する機会が遠ざかるせいで、普通の人の普通の道徳がひどく醜悪に見えてしまう。俺以外と俺、という対立を常に意識するようになる。暇っちがオタクと非オタクという対立を元に被害者意識を煽って団結を促しているように、俺も常に団結して生きていく人々と孤立している存在、という軸で強烈な被害者意識を持っている。根本的に他者を信用できていないために、ネトウヨにもなれないし、アノンにもなれないし、オタクにもなれず、友達いそうなやつをポチポチブロックして日々やり過ごしている。自分以外と敵対しているから、属していることに安らぎがない。
卑劣さとか努力とか品性だとかぜーんぶどうでもよくて、結局孤立している人はかわいそうだ。5ちゃんねるで悪口書こうが、捨て垢で粘着しようが、なりすまして暴れようが、独り寂しく生きている限り俺は俺を許せる。