お菓子が終売になって残念がると「お前が買わないからだ!!」って怒る人


実際は「お前が買っていれば終売しなかった」と主張している人はいないのである。
無知蒙昧で無垢な平均的日本国民が持ち前の愚鈍さと騙されやすさを発揮し愚劣な妄想に取り憑かれ、真実と感じ、その主張を道理の通るものとして衆愚のインターネットに膾炙させている、とするのは事実と異なる反日思想である。



真面目に「お前が買っていれば終売しなかった」が圧倒的に正しいと感じて、そう主張している日本国民は皆無だ。実際の主張は「お前が悪いのだから、文句を言うな」である。「終売を防ぐためにできた努力を怠ったくせに、文句を言うな」である。「お前の努力が足りないせいで終売したのだから、不平不満を口にするな」である。
全ての努力が平等に報われる日本国に生まれた日本国民として、不断の努力をもってすれば不可能なことなど存在しないのだから、あらゆることに自分の非を全面的に認めるべきだ。思いと現実が食い違うのであればそれは自身の努力の不足が原因であるから、報われるに十分な努力ができなかったと自省こそすれ嘆いてはいけない。というのが、「お前みたいなやつが買わないから」が真に主張したい内容だ。



努力により不可能なことが存在しなくなった世界で、結果を嘆くことはその結果に関わる人々の努力の不足を指摘し名誉を傷つける行為だ。「お菓子が終売になることを嘆く」のは、「努力があればできないことは何もなくもちろん終売にも至らない世界で、製造から流通まで関わる全ての人々の努力が足りないことだけが原因で、いち消費者たる私が悲しい思いをしている」、という悪辣な他責だ。責任逃れだ。となれば、言ってやりたくなるのである。無責任に嘆く人間が誹りを受けるのは当然であるから、語気を荒らげてお前のせいだと糾弾したいのである。望ましくない結果が出るというのは、即ち十分な努力をしていないということだから、結果を嘆く人間は犯罪者である。日本国憲法にも犯罪者には何をしてもよいと書かれているから、日本国民が「お菓子が終売になることを嘆く人」の悪質さを指摘し、口汚く罵り、打ちのめすのは当然の権利である。



実際に「お前が買っていれば終売しなかったのかどうか」は本当にどうでもいい。途上国の恵まれない不幸せな人間と違い、日本国では、自らが思い描く未来のために努力を試みる権利は平等に与えられ、我々日本国民が生きている今の世は全ての努力が報われる社会であるからだ。

終売を嘆く前に十全の努力をしろ。間違っても「無くなったら無くなったで悲しむが普段からは購入しない顧客が増えた結果終売に至るのなら、それは企業の失策ではないか」などと自身の努力の不足を棚に上げて、他責してはいけない。「お前みたいなやつが買わないから」が攻撃の意図を持って出てくるのはいささか病的ではないかと考えることもしてはいけないのである。