日記

息が詰まる。床の露出していない4畳の部屋が酸化した皮脂の臭いに覆われている。部屋の半分を占める年単位でなんのケアも施されていない置きっぱなしのマットレスが主な原因であると思うが、ともかく空気がぬるい。この寒かろうが暑かろうが変わらずぬるい空気に溺れていると、自分が腐敗していくような気がする。横隔膜が内蔵を押しやり、腐った空気が口から流れ込み、肺を膨らませて、肺胞で臭気を取り込む。その繰り返しのことを人生と呼びたくない。
もはや自分の臭いなのか部屋の臭いなのかわからない。無造作に長く伸びた髪から同じ臭いがするのは確かだが、部屋が臭い結果とも思える。lose-loseの共生関係にある。

原因はわからないが、ふとした時に過去の些細な嫌なことを思い出して胸が苦しくなるアレの発生頻度が高くなっている。漢字の読み間違いとか、吃りとか、コミュニケーションの後悔とか、常識のなさが露呈した瞬間とか、本当に取るに足らない覚えておく価値すらないことを10年以上引きずっている。トリガーは増えるばかりで、このままいけばどんなことにでも嫌な記憶が対応してしまうのではないかと思う。どういう機能だよ。何十億年と繋いできたバトンの最新地点がなんでこの体たらくなんだ。バカ。

意味のない焦燥感がある。焦りは人を行動に追い立てるが、常に意味のある行動を取るわけではない。自分の劣りが許せないとき、劣った部分を改善しようと努力しても意味がない。許せないこと自体が問題だから。

フィクションの愛に救われることはない。ニヒリズムに打ち克つのは家族の、隣人の愛だと説かれても、愛は現実にない。現実に無いものだからこそフィクションはそれを描き、感動を呼ぶのだ。ドラえもんにあるような素朴な生活というのはとうに失われているから、俺は映画ドラえもんの冒頭5分で涙を流してしまう。あの丸くて青い友人は、現実に存在しない。無いものへの憧憬は確かに俺をセンチにさせるが、それで救われることは絶対にない。