音読は脳にいい

ツイッターで音読が脳にいいというお役立ち情報が流れていた。ヨタ話しか流れてこないのがツイッターだから大して信用してないが、外国語学習に音読が効くのは身を持って知っていたので、まあ母語でも何かしらあるだろうと思って実際にやってみているのだけど、劇的に吃音が悪化して笑ってしまった。

音読が効果的だという事実は、俺にとって都合が悪い。吃音者は小学校で課される音読によって何度も辱めを受けていて、音読に対して複雑な感情がありがちだ。俺の回避性っぽいパーソナリティにも少なからず影響があったと思う。

発育過程で8%程度の子どもが吃音を発症し、その8割は自然に治っていくと言われている。治らなかったのが俺だ。吃音者にも色々な個々の特性の差というのがあるが、俺は伸発がないタイプで難発寄り。語頭が母音だと吃りが出る。「し」や「ひ」みたいな母音弱化する音でも吃る。これは感覚的な話だけれど、文字と音と発声器官の動きがうまくリンクしていないのだと思う。英語で音読するときにリンキングを意識するとこれ以上ないほど吃る。一時期英単語帳を回していて随伴運動で脚をひっぱたきまくってたのでしばらくあざになっていた。外国語だと吃らないという人もいるらしい。痛い思いをせずに外国語を習得できるのは羨ましい。

だいぶ前に音読を試していたことを思い出した。その時は、吃りはともかく滑舌や発声は良くて損はないなと思って始めたのだけど、やはり同じように吃りが悪化していた。

誰もが当たり前のようにできることに関して、努力すら許されない呪いを抱えて、常にそれをはっきりと意識させられながら生きる。何かうまくいかないことがあるとすぐに、俺にとっての発話能力のような、うまくいかないことと対応する能力の、努力すら受け付けない欠如の可能性がちらついてしまう。吃りはどうでもいいことだと消化できたとして、植え付けられた無力感は影響を及ぼし続けて、それは多分大きく損なことだと思う。予後が悪いというやつだ。「予後」ってワード使ってるやつクソキメーから見かけ次第ブロックしてる。誰なんだよお前は。消えろ!