漠然とした不安は巨大すぎるために全体像が把握できず、漠然とした不安なのではないか

 見えない道から人を見て、どう思うのだろう。助けてあげたいと思うはずだ。希望を持たないための希望ならある。誰も僕を導いてくれないということは、見えない道の存在が怪しいということ。見えないものも、筋が通っていれば信じる。筋が通らない、その論に説得力がないなら信じない。簡単なこと。誰もいない、見えない道は無いのと同じ。誰にも観測ができないならその道は無限の広がりを見せる。が、僕らに干渉はできない。歩いて行ったら、大抵の場合その道は夢のない結末へと向かう。立ち止まっていれば可能性を保ったまま生きていけるのだから、立ち止まろう。おそらく間違っているのだけど、外から見たら滑稽なのだろうけど、それしかできないのだからしかたない。体力、気力。どちらも失くしてしまった。燃料タンクは欠けた。バッテリーも切れた。見えない道からだれか来てくれ。

 ポエムを書くつもりはなくて、抽象的な言葉で現状見えるものを書くつもりだったのだけど、それはポエムであって自分に対して気持ち悪いななんて思う。黒歴史といえばこのブログ自体も黒歴史の塊であって、もうすでに綻びが見えている。三桁の記事を書いていれば黒歴史などたくさん出てくるわけで、そこにはもちろん矛盾もある。考え方の変化、僕の年齢だと成長と呼ぶのかもしれないが、本当に伸びているのか、それはわからない。君がそういうのならそうなのだろう、ということでしか確認できない危ういもの。基準がずれていたら、天地が逆だったら。考えていくとキリがないわけで、どこかで割り切ってその可能性を捨て、見えている範囲でやっていくことが必要ということはわかる。わかるが実行はできない。無限のひろがりを収束させたくないのだ。

 危ない考え方だなと思う。株価が下がっても、売らなければ損益は確定しない。売らなければ得をする可能性はいくらでもあるのだから、待つ。現実逃避だと自覚しつつ、泣きながら待つ。そのうち倒産して本来なら残ったものすら残らない。その最期を迎える可能性は十分にある。むしろそれしか考えられない。それでも歩き出せないのはなぜだろう。弱いからか、病気だからか。それとも呪われているからか。いっそ自分で結末を固定してしまおうか。そんな勇気は僕に備わっていない。僕にあるのは動かない車と、それほど堅牢ではない殻。どうすればいいかなどわかりきっているが、できない。歩いて行くのも自殺と変わらないし、待ち続けるのもほとんど自殺と同じ。可能性を広げる努力をしようにもできない状況で、自分の悩みはなんだったかも忘れ、ただひたすら嘆く。

 本当に動けないのか、そんなことは外見では分からない。もしかすると中を見てもわからないかもしれない。少なくとも僕は動けないと思った。基準がずれる、観測者が違えば動くと判断するかもしれないが、僕が見て動けないと思ってしまったのだから動けない。こういった方向には簡単に割り切れるので悩ましい。収束させたくないなんてことを書いたが、本当のことは誰にもわからない。もちろん本人にも。見えない道の見えない人が操ってるという可能性だってあるんだ。可能性ならいくらでもある。しかし、未来は無限大というわけでもなさそう。1/∞をいくら重ねたって変わらないのだ。未来のパターンは有限でないといけない。未来を有限たらしめるもの、それはこの世界のルールでありそれを見つけるのは楽しいのだと思う。

 楽しいことが見つかったと思い、有りもしない幻想を追いかけ、ふと我に返ると自分は一歩も歩いてはいない。歩いた気になっていただけ。これももちろん歩いていない気になっているだけという解釈もできるのだけど、自分が言うのだから信じなければ話が進まない。少なくとも今の自分はそういうふうに考えている。歩いていない。行き過ぎた、それでいて実際は何も疑うことができていない懐疑に殺されてしまう人は多いんじゃないかと、自分のことを一般論として語ってしまいそうになる。立ち止まっているのだって宇宙から見ればそれなりのスピードで移動しているわけで、物事を見る基準によって何もかもが変わってしまう。そんななか主観で生きるというのは、正確な捉え方ができないばかりではなく人生の意義すらペラッペラということにもなりかねない。

 割りきらなければ歩けないというのはよーく分かっているけれど、一旦思い浮かんだ恐怖を忘れることは難しい。ダラダラと抽象的なことを書いているけど、結局はまじめにやると疲れるから甘えてるだけなんだろうと言われれば、君がそういうのならそうなのだろう。ということになる。が、誰かの視点を借りることでもこの漠然とした不安は無くならないのだ。自分のスケール感と自分以外の人が持つスケール感は違うということははっきりしているので、宇宙にとっては小さくてもちっぽけな僕にとっては十分大きすぎるんだよ!という主張が通る。僕はそれを信じて、いろいろな押し付けから逃れようとするのだけど、これも他の視点から見ると滑稽なのだろうなと思った。


予定変更 読まない方がいよね - 円錐の毎日。
このエントリに触発されて書いた。