日常は非日常でできている

日常ってなんだ。
僕は電車通学だ。
そこそこ良い自転車は買ってもらった。
しかし使っていない。(両親、すまん)
半引きこもりには自転車など無理だ。
一週間ぐらい疲労を引きずる。
そんなこんなで電車通学をする。
ガタンゴトンと揺られるわけだ。
いや、もっと激しい。
ドンッドンッぐらいはあるだろう。


毎日電車通学をする人にとってそれは日常だ。
そして僕にとっては非日常。
繰り返される毎日は変化しない?いや違う。
変化している。確実に。
昨日と今日何が違う。
日常の中の非日常を感じよう。
日常は非日常でできている
それに本当の意味で気づいたとき日常が楽しくなっているだろう。
目が輝いているだろう。
疲れたら非日常を探そう。













































と、ここまで気持ち悪い文章書いた。
吐き気がする。何が日常に非日常を感じるだ。
ささやかな喜びで満足出来てしまう人間は一生搾取されとけ。
向上心のある奴らに搾り取られるんだ。
上を目指せ。幸い落ちぶれてもセーフティーネットはちゃんとしてる。
自分の好きな生き方をしろ。
選ぶ権利が人間にはある。
社会主義と資本主義が混ざり合ってる社会なんだからやりたい事やればいいんだ。
必死こいて低賃金で働くもよし不労所得するもよし
つまらない日常に非日常を見出す必要なんか無い。
今の日常が嫌なら別の日常を追え。
周りもそんな奴を応援してやってほしい。
同調圧力をかけるのはやめてくれ。
羨ましかったら自分もやればいいじゃないか。
足を引っ張るのは本当にやめて。
すべて自分が悪いんだ。
現状が嫌なら変えればいい。簡単な話だ。